血って、匂いも生温かさも尋常じゃないんだ。
特に殴って浴びる返り血は、自分をおかしくするには十分。
 
何度洗っても取れなくて、何度耳を塞いでも悲鳴が聞こえて、何度目を瞑っても追いかけてくる。
 
 
 
 
 
 
 


そ れ は 永 遠 に 逃 れ ら れ な い 夢。

 
 
 
 
 
 
 
真夏の暑い日。
 
体育の後、僕は水道で顔を洗っていた。
火照った身体には、冷たい水が心地よい。ふぅ、と息をついて上を見上げると雲ひとつない青空が広がっていた。
 
濡れた顔をタオルで拭いて、涼しい日陰に腰を下ろす。
こんな穏やかな生活を送っている僕だけど、過去に人を殺した事がある。
 
 
僕達を苛め抜いた叔母を、僕はバットで殴り殺したのだ。その記憶は、僕にとっては忘れたい過去。
だけど、忘れる事なんて出来ない。それは、僕の罪だから。
ずっと死ぬまで背負っていかなくてはいけない……大きな十字架。
 
 
 
「今日は暑いな………」
 
 
 
日陰に入っているにも関らず、嫌な汗が全身から流れる。
湿った服が肌に張り付き気持ち悪い。風が当たると冷たくて、少しだけ寒気がした。
そして、しばらくすると手が異様にぬるぬるしていることに気が着く。
 
どうしてだろう、と見ると僕の右手は、血で赤く染まっていた。
 
 


「…………っ!!」


 
バッと立ち上がって、狂ったように水道で手を洗う。何度洗っても、血独特のぬめりが取れない。
痛いほどこすってこすって、それでも取れない。
どうして取れないんだ。
あの日の記憶が蘇る。
叔母を殴り殺した後、家に帰って、お風呂に入って、着替えて、そして、血のついた服とか全部鬼ヶ淵沼に捨てて……。
 
でも、血の匂いが取れなかった。
なるべく熱いお湯につかって、血の匂いを取ろうと必死になって、でも中々取れなくて……。
怖くて、狂いそうで、悲しくて、許されなくて――――
 
 
ひたひた……
 
 
えっ?また、後ろに、誰か、居る…………
 
 
 
 
 
「悟史くん………?」
 
 
 
 
 
後ろからいきなり声をかけられてビクッとした。
恐る恐る振り返ると、不思議そうな顔をした詩音が立っている。僕はホッとして、詩音にぎこちない笑みを返した。
 
 
「詩音か………」
「まだ着替えてなかったんですか?早くしないと次の授業始まっちゃいますよ?」
「う、うん……そうだね」
「どうかしました?」
 
 
詩音は僕の隣に来て、洗っている僕の手を覗き込む。
反射的に僕は両手を後ろに隠した。
詩音はますます、首を傾げる。
 
 
「どうして隠すんです?」
「な、なんでもないよ……っ」
「怪しいですねぇ……」
「本当に、何でもないから……」
「ちょっと、見せてください!」
 
 
ぐいっと詩音に強引に引っ張られて、しまった、と思った時には既に遅かった。
詩音はまじまじと僕の右手を見ながら慌てたように、
 
 
「悟史くん……!」
 
 
僕は、罪の意識で泣きそうになった。だけど……
 
 
 
「怪我してるじゃないですか……っ」
 
 
 
えっ………?
怪我してる、と言われて見れば確かに右手が切れていて、うっすらと血が滲んでいた。
困惑する僕を尻目に、詩音はポケットから真っ白な可愛らしいハンカチを取り出すと、それを傷口に優しく当てる。
 
 
「悟史くん。怪我した時は、傷口を洗うのはいいんですけど、こすっちゃ駄目です。
 こすったら逆に悪化しちゃいますからね。優しく洗って、砂とかを落とすだけにしてください」
 
「あ……えっと……」
 
「わかりました?」
 
「う、うん……」
 
 
…さっき見た血は、本当に僕の血だったのだろうか。
そんな訳ない。こんな傷口からあれだけの大量の血が出るなんてありえない。
 
じゃぁ、さっきのは僕の妄想………?
 
 
「悟史くん、大丈夫ですか?お顔が真っ青ですよ」
 
「えっ?あ、うん……へ、平気だよ!」
 
「それだったらいいんですけど」
 
 
詩音は血が止まったのを確認してから、優しくハンカチで傷口を縛る。
 
 
「さぁて、応急処置はこれで完了です☆」
「ありがとう、詩音」
「後は悟史くんが着替えてから、保健室で手当てしてあげますね!」
「むぅ、いいよ……」
「よくありません!黴菌が入ったら大変でしょう?それに、2人きりの保健室なんて夢のようなので、お願いします」
「むぅ……?よく意味が……」
「細かいことは気にしないで下さい☆」
 
 
詩音が傍に居てくれると、不思議とさっきまで感じていた恐怖が薄らいでいく。
さっきまで右手にべったりとついていた血は僕の妄想かもしれない。
でも、僕は確かに感じたんだ。
 
 
僕の罪のカタチを。
血の匂いとか、生温かさとか、ぬめった感触とか、全部全部本物だった。
 
あれが偽者だったなんて……そんな事……
 
 
 
 
「悟史くん…………」
 
 
 
 
辛そうな悟史の顔を見て、詩音は悟史の手を握った。
どうして彼が辛いのか分からない。でも、私は貴方の力になりたい。だから、話してくれるまで待つから。
 
もう一人ぼっちじゃないよ。
ずっとずっと傍に居るよ。
だから、安心してね。
 
 
この気持ちが、彼に少しでも伝わればいい。
 
そう思って、優しく手を握った。
 
 
 
 
 
「詩音の手って、あたたかいね………」
 
 
 
 
 
しばらく握っていたら、彼の口から小さな声が漏れた。
私がその声に反応して、反射的に顔を上げると悟史くんは微笑んで、私の手を両手で握り返してくれる。
悟史くんの手は、私もあたたかくて大好き。
いつもこの手で頭を撫でてくれる……優しい、てのひら。
 
 
 
 
「安心するよ……」
 
 
 
 
こうやって君がずっと手を握ってくれていたら、僕はいつかあの悪夢から逃れられるだろうか。
 
あの悪夢から、解き放たれるだろうか。
 
 
 
 
 
「悟史くん、大丈夫ですよ……」
 
「えっ?」
 
「治らない傷なんて、ないんです」
 
「…………うん」
 
 
 
 
ありがとう、詩音。
こうやって君が手を握ってくれているだけで、こんなにあたたかい気持ちになれるんだ。
 
 
だから、もう大丈夫だよ。
 
僕は、君がそばに居てくれたら、きっと乗り越えられる。
 
 
 
 
 
 
そう、信じたいんだ。
 
 
 
信じてもいいかなぁ?
 
この悪夢から、逃れられる日が来ることを。
 
 
 
 
 
 
(たとえ、どんな事をしてもこの悪夢から逃れられないことに、僕は気づいている。それでも、信じたいんだ。)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 




>>あとがき
 
とにかく悟史には、人の手はあたたかいと気づいて欲しかったらしいです。
目覚めた後も、ふとした事で思い出せばいいよ…!
そして、詩音に助けられたらいいよ…!っていうか、サトシオン大好きだ…っ!(これが言いたかった)
 
もう誰も後ろに居ないのに、足音が聞こえればいいのです(妄想で)
そして、また発症しそうになったら詩音が傍にいればいい…そして、無限ループ!結婚まで…!(何
 
では、ここまで貴重な時間を使って、読んでくださってありがとうございました☆
 
-2008.10.11-
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