僕は取り返しのつかない事をしました。
後悔はしていません。だって、泣いてばかりだった沙都子が、笑顔を取り戻してくれたんです。
 
(たとえ、それが偽りの笑顔でも。)
 
 
 
 
 
 
 
 
者 へ
 
 
 
 
 
 
 
 
「にーにー!」
「あっ…沙都子と詩音!こんな所で、どうしたんだい?」
「どうしたじゃないですよ!悟史くんこそ、お花屋さんで何買ってるんですか?……私への花束!?」
「…ッ!そんな訳ないですわよね、にーにー!?」
「そんなの分からないじゃないですか…!ねぇ、悟史くん?」
「む、むぅ………」
 
 
結局、悟史くんが買っていた花は私へのプレゼントではなかった。
悟史くんは困ったように笑って、花屋の店員から菊の花を受け取り、お金を渡している。
それから、悟史くんは1人で何処かに行きたい、と言った。
私と沙都子が声を揃えて、ついて行きたい、と言うと悟史くんは申し訳なさそうにごめん、と言う。
 
 
それから私達は、悟史くんと別れ、そのまま商店街をフラリと歩くことにした。
 
 
 
「………でも、にーにーは菊の花を持って何処に行くんですの?」
「さぁ。私へのプレゼントじゃない花の行方なんてどうでもいいです」
「…菊の花もらって嬉しいかと聞かれたら、微妙だと思いますけど……」
 
 
 
女の人に贈る代表的な花といえば、やはり薔薇ですわ。
菊の花なんて縁起でもない。でも、にーにーなら無意識にやりかねない…
そして、詩音さんだったら菊でも彼岸花でも喜びかねない。
 
 
ある意味、色々な所が抜けているにーにーとねーねーを不憫に思い、沙都子はため息をついた。
でも、その時沙都子の頭にある1つの可能性が過ぎる。
 
それはとても悲しくて、とても辛い、ある可能性………
 
 
 
「…詩音さん。」
 
「はい?」
 
「まだ時間あります?わたくし、行きたい所があるんですの……」
 
 
 
沙都子は詩音の服の袖をぎゅっと、掴む。
その手が微かに震えていることに気づき、詩音は沙都子の頭を撫でた。
顔を上げた沙都子と目が合って、詩音は優しく微笑む。そして、一緒に行きましょう、と言った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「……ごめんなさい。」
 
 
悟史は菊の花と、ペットボトルに入れた水を持ち、ある場所を訪れていた。
ここは、普段誰も寄り付かない墓地。
そして悟史の目当ての墓は、ほとんど大した手入れもされておらず、墓は荒れ果てていた。
 
 
「……ごめんなさい。」
 
 
悟史は何度も謝る。
何度謝っても許されることはない。何度謝っても、罪が消える訳ではない。
それでも、悟史は何度も謝る。決して許されることではないと分かっていても、
決して死んだ人間が帰って来ないと分かっていても、謝るのだ。
 
 
そうしないと、自ら犯した罪の意識に、押し潰されそうだった………
 
 
 
 
 
 
「……叔母さん、ごめんなさい。」
 
 
 
 
 
 
悟史が訪れた墓の主は、北条玉枝―――――
 
 
夫の鉄平は行方不明。
この村で、この墓の手入れをする者が居るはずがない。
そして、唯一の身内である悟史も、そして沙都子も……出来れば訪れたく無い場所。
 
でも、長い眠りから目覚め、待望だった日常に戻り、段々と心のゆとりを取り戻していくと、気づいたのだ。
この幸せな日常の中で、自分だけ前に進めていないことに。
 
 
 
そして、怖かった ―――――
 
 
 
「……ごめんなさい。」
 
 
 
自分は人を殺した。しかも、殺した相手は身内だ。
たとえ、血は繋がっていなくても、何年も一緒に暮らした家族。
憎かった。恨んだ。許せなかった。沙都子を苛めた。自分も苛められた。何度も何度も……!
叔母さん、という単語を聞いて蘇るのは嫌な思い出ばかり。それでも……叔母さんを殺しても、僕は救われなかった。
 
 
 
この世から、叔母さんという存在を消しても、僕は全然救われなかった。
 
むしろ、虚しかった。
 
 
 
 
「……ごめんなさい。」
 
 
 
 
僕が叔母さんの墓参りをすることなんて、誰が想像しただろうか。
僕だって、するつもりはなかった。したくなかった。
でも、今なら向き合えると思った。僕が人を殺したという罪に。
 
僕が人の存在をこの世から消したという事実に。
(もう、叔母さんは、この世の何処にもいないのだという事を、僕は……)
 
 
いつか、絶対、向き合わなくちゃいけないと思っていた。
 
 
 
 
 
「にーにー………」
 
 
 
 
 
その声に驚いて、反射的に後ろを振り向いた。
すると、沙都子と詩音が立っている。僕は気まずそうに視線をすぐ下に落とした。
だが、次の瞬間、沙都子が僕に抱きついて来る。

だから分かった。沙都子が、泣いていることに。
 
 
「沙都子………」
「やっぱりここでしたのね…どうして、どうしてこんな場所に……っ」
「ごめん、でも……僕は……」
「にーにー!」
「僕はね、本当はもっと早く、ここに来なくちゃいけなかったんだよ……?」
「そんな事無い!ここは、叔母さんの墓ですのよ!?にーにーとわたくしを苦しめた…叔母さんのっ」
「それでも、僕は来なくちゃいけない」
 
 
沙都子が顔を上げた。僕は、沙都子の頭を優しく撫でながら、
 
 
 
 
 
 
「沙都子、来てくれてありがとう。…心配してくれたんだね」
 
 
 
 
 
 
沙都子は、無言でコクリと俯く。
沙都子のすすり泣きが聞こえる中、僕は沙都子を強く抱き締めた。
 
 
僕はね、人殺しだから。
人を1人殺したっていうのに、全然後悔してないんだよ。
それはとっても罪深くて、とっても虚しい事だけど、それでも………
 
僕が叔母さんを殺して、僕が居なくなった時から、沙都子は笑顔で居てくれたんだろう?
それだけで、僕は少し救われた。たったそれだけで、僕はこの大きな罪を背負って良かったと思えたんだ。
 
 
 
「ごめんなさい……っ」
 
 
沙都子は泣きながら謝る。
誰に向かって謝っているのか分からないが、何度も、何度も。
 
ごめんなさい。
叔母さんなんて、死んでしまえと何度も願ってごめんなさい。
にーにーに助けを求めて、たくさん傷つけてごめんなさい。幸せな日々を過ごして………ごめんなさい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(一番の罪人は、私なのに――――――。)
 
 
 
 
それなのに、わたくしは叔母さんに謝ることも、自らの罪に懺悔する事も、しなかった。
叔母さんなんて死んでしまえばいい。
そう思った。何度も思った。ごめんなさい、ごめんなさい……!にーにーが悪いんじゃないっ!わたくしが………
 
 
 
「沙都子…っ、謝らなくていいんだよ……もう、沙都子はたくさん頑張ったじゃないか。限界まで、頑張ったじゃないか……
 だから、いいんだ。沙都子には何の罪もない。僕が勝手にやったことで……」
「そんな事ありませんわ…!わたくしは、甘えてばっかりで……にーにーに、取り返しのつかない事を…っ」
「…………っ」
 
 
 
「そんな事、ないですよ。」
 
 
 
詩音の声で、沙都子と悟史は顔を上げた。
詩音の目には涙が浮かんでいたが、必死にその涙を落とさないように、耐えている。
 
 
 
 
 
「取り返しのつかない事なんて、ない」
 
 
 
 
 
詩音の迷いのない瞳が、2人の罪人を映した。
この2人は間違いなく罪を犯した。
人が人を殺す。人が人を傷つける。人として、絶対にしてはいけない理を破ったのだ。
 
だが、この2人はその罪に向き合っている。
償おうという意志もある。
だから、まだ大丈夫。まだ、間に合うから。
殺した人は戻ってこないけど、深く刻まれた傷跡は絶対に消えないけど、それでも、私達は生きているから……
 
 
 
 
 
だから、やり直せる。私はそう、信じてる。
 
 
 
 
 
「詩音…………」
「悟史くん、私、貴方に会えて気づいた事があるの。人を好きになるってこんなに素敵な事で、好きな人のこと、
 考えるだけで心があったかい。…でね、好きな人が笑ってくれると私も嬉しくて、好きな人が痛いと私も、痛い。」
「詩音さん……」
「沙都子も、同じでしょう。悟史くんが傷つくと、胸が痛いでしょう?」
「……コクリ。」
「信じていれば、夢は必ず叶います。だから、大丈夫。悟史くんも沙都子も、まだ間に合いますから。
  だから、もうそんな風に自分を責めないで。苦しめないで………」
 
 
詩音は悟史の手を握った。
なるべく優しく、壊れないように、崩れないように、ただ、優しく。
 
 
「詩音……君、は」
 
 
悟史は途中で言葉を綴るのを止めた。
いや、止めたというよりも、声が出なかったという方が正しい。詩音の腕が、悟史の頭を包み込んでいたから。
 
しばらくして、詩音は悟史を離す。そして、彼女は彼の目から溢れた涙を、指で優しく拭った。
 
 
 
 
「私はそんな2人を支えたい。2人の事、大好きだから……」
 
 
 
 
私に出来るのか分からない。でも、それでも………
 
 
 
「しおん………」
「悟史くん、大丈夫……」
「…………。」
「沙都子も、大丈夫だから」
「詩音さん……」
「誰にだって、幸せになる権利があるんです」
 
 
 
 
幸せになる権利―――――どんな人にも、必ずある。
 
それに、罪がまったく無い人なんてこの世に居る訳がない。
誰だって、誰かを傷つけて、誰かに傷つけられて生きている。だから、
 
 
 
 
 
 
「僕も、幸せになっていいのかな……?」
 
 
 
 
 
 
悟史は小さな声で呟く。本当は、僕も幸せになりたい。
 
押し潰されそうなほど、大きくて、重くて、辛い大罪を背負っても。
少しずつでも償いたい。届かなくたって、伝わらなくたって、叔母さんにごめんなさいって謝りたい。
僕に償っていけるのかな。
いけるのなら、もう少しだけ、この安らぎを………
 
 
「にーにー…」
 
「沙都子、ありがとう。」
 
「………こちらこそですわ。」
 
「詩音も、ありがとう。」
 
 
 
それから、3人で叔母さんのお墓に手を合わせた。
僕と沙都子は掃除箱から、ほうきとちりとりを持って、墓の周りを綺麗に掃いて、そして、タオルで磨いた。
詩音はというと、わざわざ園崎家の本家まで、線香とろうそくを取りに行ってくれた。
 
 
「にーにー、わたくし反省しましたわ」
「えっ?」
「死んだ人の事…いつまでも悪く思ってるなんて検討違いも甚だしいですわ」
「…………うん。」
「それに、叔母さんの身内は…もう、わたくし達しか居ないんですもの……」
「…………うん。」
「だから、また一緒に……」
 
 
また一緒に、お墓参りに行きましょう。
 
そう言いたかったのだが、何故だか照れくさくて言えなかった。
それからすぐ詩音が帰って来て、ろうそくに火を灯す。不思議な気分だった。叔母さんの墓の前なのにちっとも怖くなかったんだ。
 
 
そして、線香に火をつけお墓の前に挿し、手を合わせた。
 
 
 
 
 
………ごめんなさい。
 
 
 
 
 
心の中で、何度も何度も謝る。
3人がこの場所からそっと離れる時、悟史はもう1度だけ振り向いた。
 
 
僕が殺したんだ ――――。
 
この時悟史は、初めて自らの罪を後悔した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「にーにー?」
「あっ……えっと……」
「悟史くんどうしたんですか?目が泳いでますよー?」
「いや、なんでもないんだ」
 
 
 
3人で手を繋いで、家に向かって歩き出す。
 
 
心が、軽くなった気がした。
 
 
 
 
「……沙都子、明日、お父さんとお母さんの墓参りにも行かないかい?」
 
「いいですわね。たまには、」
 
「詩音も、来てくれないかな?」
 
「えっ……いいんですか?」
 
「うん、もちろん。」
 
「詩音さんは、わたくしのねーねーですもの!そして、にーにーの………」
 
「さ、沙都子っ!!」
 
 
 
 
少しだけ、心が軽くなった気がしたよ。
僕はやっと向き合えたんだ。
 
 
怖くて、恐ろしくて、目を背けていた事実から。
 
やっと、向き合えたんだ。
 
 
 
 
 
この瞬間から、僕はまた1歩前に進めたんだ―――――
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
>>あとがき
 
ひぐらし短編、記念の30作目!よく書いたなぁ……うん、結構書きました。
最初は罪滅ぼし編の圭レナでハマったひぐらしですが、目明し編でサトシオンに物凄くハマり今現在に至る訳です。(罪滅ぼし編の方を先に見ました)
鬼隠し〜暇潰しまではレナが超好きだったので。(だって、悟史名前しか出てないし…!)
目明しの彼にきゅんきゅん☆きて、全てがひっくり返った気がします。
 
そんなこんなで、記念の30作目は北条兄妹x詩音です。
この3人大好きです。もう、かなりやばいくらい熱いですよ…!
っという訳で、この話はいつか書きたかった話です。叔母さんの墓参り………
多分お墓参りしてくれる人は居ないと思うので(鉄平行方不明だし)、悟史と沙都子にしてもらいたいと思ったのが始まりです。
 
「この世界に敗者は要らない」(by梨花)
 
叔母さん=敗者、にしてほしくなかった訳で、確かに北条兄妹を苛めたのはいけないことだけど、
死んだ後もずっと悪い奴、で終わって欲しくないと思ったのです。
悟史には目覚めた後、ゆっくり休んだ後でいいですから、お墓参りしてくれたらなと。
きっとお墓参りの後は、悟史はまた1歩前に進めるんではないでしょうか。
 
っと、そんな感じな記念の30作目でした!
ここまでお付き合いしてくださった方、感想を下さる方、本当にありがとうございます。
これからもまだまだ突っ走っていきますので、宜しくお願い致します…!
 
-2008.12.29-
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