運  命  の  天  秤
 
 
 
 
 
目を覚ましてから、ぼくの日常はずっとこの無機質な部屋で過ごすこと。
最低限の機械と、最低限の日用品と、真っ白な壁と、ベットが1つあるだけの殺風景な部屋だ。
窓のないこの部屋からは、僕が大好きだった空を見ることは出来ない。
それに、あんなに大好きだったはずなのに、空がどんな色だったのか覚えていないんだ。
あの日の前後の記憶が曖昧で、沙都子の泣いている顔とか、ぬいぐるみを買ったこととか、
叔母をこの手で殺したこととか、記憶がない訳ではないのに、夢だったのか現実だったのか、その区別さえ曖昧。
 
でも、心のどこかで、曖昧でよかったなぁって思ったりする。
だって、自分が人殺しだとはっきり断言できるより、曖昧なラインでぼかしてくれる方がずっといい。
 
 
「…………そう思わない?詩音。」
 
 
きっと、そうですね。と軽い相槌を打ってくれると期待した。でも、彼女の唇は動かない。
先ほどからベットに突っ伏して眠っている詩音に気づきながらも、自分の思っていることを素直に口にし、
おまけにその度に彼女の返事を待っている自分は、少し変なのかもしれない。
 
 




「いつになったら、ここから出られるのかな。………やっぱり、出た後は警察に逮捕されたりするのかな。
そうしたら、しばらくこうやって触れられなくなるね。それは嫌だな。」
 
そっと詩音の頭を撫でる。くすぐったそうに、かすかに瞼が動いたけれど、目を覚ます様子はなかった。
人を殺した罪は償わなければならない。でも、僕はその罪を十分受けたのではないか?
そう思うのは僕だけなのか、それとも、そう言ってくれるみんなが僕に甘いだけなのか。
ここに居る彼女も、僕はもう罪を償った、と言ってくれる。
それは君が優しいからか、ただ単に僕が好きなだけか、それとも本当に僕は罪を償えたのか。
その答えを出すのは、僕じゃない。じゃぁ、誰が出すんだろう?
 
 



( 人が人を殺した罪の償いを判断できるのは、一体誰? )
 
 
 
 
 
「僕は……人を殺したんだ…………」
 
 
 
 
 
曖昧だったそれを口にしてみれば、それは事実なのだと思い知らされる。
僕の手は、僕の目から見れば、真っ赤に染まっているように見えた。この手で、あのバットで、ぼくは叔母を殴り殺したんだ。
曖昧にしていいはずがない。人を殺したことを曖昧にして、現実から逃げたらいけない。
 
だって、本当は覚えているんだ。
バットを振り上げる度、身体に飛び散る血の生温かさも、その血がバットを伝って流れ、ぼくの手を濡らしたことも、
空から降り注ぐ冷たい雨で、急速に自分の体温が奪われていったことも、全部。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「詩音、聞いて欲しい事があるんだ。」
 
あの日のこと。………叔母さんを殺した日のこと。
この話はタブーだと分かっていた。だからこそ、彼女が起きている時には言えない。
でも、いつかは言わなくちゃいけないと思ってたんだ。何故ぼくが叔母を殺したのか、その真実を。
辛い日常から逃げたかった訳でも、本気で叔母を憎んでいた訳でもない。
でも、真実を知ったら、彼女はぼくを嫌いになるかもしれない。怒るかもしれない。

だからこそ今なら言える。詩音が寝ている今なら、…………言える。
 
 
 
 
 
「本当はね、死ぬのは君だったんだよ……………?」
 
 
 
 
 
叔母さんは知っていた。魅音が僕に好意を持っていること。
だから、僕に気を持たせて、魅音から園崎家のお金を持ち出すようけしかけろと言われていた。
もし、出来ないのであれば沙都子をもっと酷い目に合わせると脅された。
男の僕と違って、女の子の沙都子で金を儲ける方法なんて腐るほどあるのだと。
沙都子から取るか、魅音から取るか、2つに1つ。
 
叔母さんは知らなかったんだ。魅音が僕のことを好きなように、僕も、魅音のことが好きだということに。
 
 
 
 
 
『悟史、どうするんだい?園崎の娘にお金を持ってこさせれば、誰も傷つかなくて済むんだよ。あんなでか
い家、ちょっとくらい金が減っていたって誰も気づかないよ。簡単だよ、園崎の娘に“一緒に逃げよう”って 
言えばいい。“そのためにはお金が必要なんだ”って……女ってのはバカだから、簡単にお金を持ち出す 
よ。あんたがやるのはそれだけでいい。待ち合わせ場所を指定するだけでいい。あとはこっちでうまくやる 
から。さあ、悟史………叔母さんね、お金に困っているんだよ。お金があれば、沙都子やあんたに辛く当 
たったりしないよ。お金さえあれば、みんなが幸せになれるんだよ。』
 
 
 
 
 
 
あんたがやるのは、『お金を持って、指定した場所に園崎の娘が1人で来るように促す』、だけだよ。
 
 
(たったそれだけで、この苦しい生活が終わる……?)
 
 
 
 
僕が魅音を、指定した場所に、お金を持っていくよう、指示をする。
…………それで、もしそれが成功したとして、持ってきた魅音はどうなるの?
指定した場所に僕は居ないんだよ?叔母さんは『こっちでうまくやる』って言っているけど……
ねえ、叔母さんは魅音に何をする気なの?
 
 
叔母さんは魅音に、一体何をして言う事を聞かせるつもりなんだ………?
頭に浮かんだ嫌な想像。これは僕の杞憂だろうか。いや、きっと違う。多分、違う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そうすれば、『みんなが幸せになれる』、んだよ。
 
 
(幸せになれるみんなに、魅音は入っていないんだろう………?)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「………魅音、あのさ。」
 
 
買い物の途中、魅音にばったり会った。その時、一週間前に言われた叔母さんの言葉を思い出す。
そして、叔母さんの言うとおりにしようとした。魅音を殺そうとした。
現実では、おそらく魅音は殺されたりしないだろう。叔母さんにとっては貴重な金ヅルだから。
でも、きっと魅音の心は死んでしまう。僕に裏切られたんだってきっと気づく。そうしたら…………
 
(僕は、本当にそれでいいのか………?)
 
 
「うん?何、悟史くん?」
 
 
嬉しそうに返事をしてくれた魅音を見たら、何も言えなくなった。
僕は魅音が好きだった。この笑顔に救われていた。
 
この笑顔を殺すなんて――――僕に出来るはずがないじゃないか!!!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「………だから、実行する前に叔母さんを殺した。答えは簡単だったよ……叔母さんが居なくなれば、
 僕は君を殺さなくて済むんだ。魅音も、詩音も、沙都子も………誰も傷つかない。」
 
 
あの時僕が恋をしたのは、魅音なのか詩音なのか。
―――――分からない。
でも、ぼくにとって2人ともかけがえのない存在だった。嘘じゃない。
学校でいつもぼくに笑顔で話しかけてくれて、冗談を言ってぼくをたくさん笑わせてくれた。
学校外でぼくが困っていた時助けてくれて、買い物に付き合ったり野球の応援に来てくれた。
魅音も詩音も、大好きだった。それでも、ぼくは思ってしまった。
たとえ大好きだったとしても、沙都子と比べられるはずがない。
沙都子だけがぼくにとっての特別で、沙都子を守るためならどんな犠牲を払ってもいいと思ってしまった。
 
 
でもね、出来なかったんだ。
選べなかった。
右か左か選べなかったぼくは、計り“そのもの”を壊すしかなかったんだ。
 
 
 
 
「……………?」
 
 
 
その時悟史は気づいた。詩音の目から、一筋の涙が溢れていたことに。
遠い昔、監督から野球を教えてもらってから、いつまでもこのままで居られたらいいと思ったことがあった。
好きなことを思いっきりして、恋をして、毎日笑って過ごせたらと。
 
 
 
でも、ぼくは大好きだった野球のバットを凶器に選んだ。この手で、狂った日常を、ぶち壊すために。
 
 
 
 
 
 
 
 
運  命  の  天  秤
 
(右か左か、有罪か無罪か。そのどちらも選べなかったぼくは、天秤を壊すしかなかったんだ。)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
>>あとがき
 
悟史は詩音が寝ていると思っていたけど、実は起きてましたという話でした。
本当はこのネタは長編で出来たらいいなと思っていたんですが、実際色々組み立ててみると、
前後くらいの長さにしかならない事が判明したので短編で出す事にしました。
無駄にだらだらながく書くより、これくらいさっぱりした長さの方がいいですよね!
 
正直あの叔母さん夫婦だったらやらかしたんじゃないかなと思ったり思わなかったり。
(どちらかといえば伯父さんの方がやりそうだけど、まぁ、叔母さんの方がやりやすかったので)
北条家はどこもかしこも美味し過ぎて困ります(笑

では、ここまで貴重な時間を使って読んでくださってありがとうございました!
 
-2010.01.31-

※私の中で、昭和57年の悟史失踪前(詩音が名乗り出る前)は、詩音と魅音は同一視して、魅音として表記してます。
 しかし、私の中では、悟史の気持ちは、魅音は友達としての好きで、詩音は恋愛的な意味での好きというのが不動の大前提であります。
 そのため、悟魅として書いたつもりは無かったのですが、そういう見方も出来るということで、ご迷惑をおかけしました。申し訳なかったです。
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