大昔、雛見沢ではそれが当然のように行われていた。
村人の手によって行われる儀式……それは、村八分やよそ者を、鬼々淵の底なし沼に生贄として沈めること。
もちろん死体など出ない。だって、それが『鬼隠し』だから……
「今日も暑いですわねぇ……」
「もうすぐ夏も終わります…耐えるしかないのですよ」
「あぅあぅ、でも鷹野のスクラップ帳も、随分進みましたです…!」
「そうでしたわ。夏が終わる前に全て“解決”しませんとね…!!」
夏が終わりに近づいたにも関らず、雛見沢は連日、猛暑日である。今は、既に日は沈み、辺りは暗くなっていた。
夕御飯を先ほど済ませた沙都子、梨花、羽入は一緒に家の中でくつろいでいる。
「そうですわ!今回は、3人で1つの謎を解決しませんこと!?」
「それは楽しそうなのですよ」
「圭一達を、あっと言わせてやるのです!!」
「…でも、今ここに鷹野さんのスクラップ帳はありませんわよねぇ……」
沙都子が残念そうに呟くと、梨花はごそごそとあるものを取り出した。
「そういう事もあるかと思って、魅ぃからスクラップ帳を借りておいたのですよ☆」
梨花がスクラップ帳を持っていることに感動した沙都子は、梨花にぎゅっと抱き付いた。
「ナイスですわ、梨花!!」
「あぅあぅ、僕も〜〜…」
「ちょ、分かったから、2人とも離れなさいっ」
「あぅあぅ、梨花は冷たいのですぅ…」
「さて、早速見ますわよ…!」
3人はテーブルの上に広げたスクラップ帳を、ぱらぱらとめくる。
流石に、『解決済』が多くなってきて、まだ解決していない謎を探す方が苦労する。
しばらくただ、淡々とページをめくっていた時、羽入が誰でも思った事を口に出した。
「……で、何をするですか?」
「具体的には決めていませんわ」
「あぅあぅ」
「あ、これは?」
『鬼々淵沼の亡霊』
「えっと……『深夜、鬼々淵の底なし沼から、大昔生贄として沼に沈められた無数の亡霊が、救いを求めて湧き出す…』ですって。」
「あぅあぅ、亡霊だなんて怖いのです」
「深夜……」
「みー、沙都子怖いのですか?」
「こ、怖くなんてありませんわ!今すぐ身支度をして、鬼々淵沼に行きますわよ!!」
「りょーかい、なのです…っ」
3人は急いで身支度を整え、きちんとドアには鍵をかけてから、鬼々淵沼に向かった。
辺りはもう真っ暗で、明かりは手元の懐中電灯1つだけ。
「流石に不気味ですわね……」
「あぅあぅ〜…」
「2人とも迷子にならないでください、ですよ☆」
「な、なりませんわよっ!」
「ならないです!」
「くすくすくす……」
虫の音と3人が歩く足跡以外、他に音は聞こえない。
雛見沢は老人が多いため、早寝早起きが基本原則だ。
梨花たちだって、普段は、そろそろお布団に入ろうか、と思い始める時間である。
沙都子と羽入は鬼々淵沼に向かう間、何度も眠そうにあくびをしていた。
ふと、先頭を歩いていた梨花が足を止めた。
後ろで眠そうに歩いていた沙都子と羽入が、気づかず梨花の背中にぶつかる。
「ちょ、梨花?いきなり立ち止まらないでくださいませっ」
「痛いのですぅ……」
「着きましたですよ」
落ち着いた梨花の声で、沙都子と羽入が前を見ると、
「ここが、『鬼々淵の底なし沼』なのです」
鬼々淵の底なし沼。
昼間見ても不気味で誰も近寄りたがらないのに、夜は不気味を通り越して恐怖……嫌悪感さえ覚える。
昔は、ここに村八分やよそ者を、オヤシロ様に生贄として捧げていたという噂もあるし……
「あぅあぅ、梨花ぁ、怖いのです…」
「とりあえずパッと見、何も変わった様子はないみたいね…」
「だったら少し離れませんこと?落ちたら大変ですわ」
「も、もし落ちたらどうなるですかぁ!?」
「にぱー☆もちろん底なし沼なんですから、底はありませんですよ」
「こ、こここ怖いのですぅ!!?」
「では、少し離れて様子見なのですー☆」
近くの茂みに隠れて、鬼々淵沼を見張る3人。
明かりがあると、『亡霊』も出てこないかもしれない、と懐中電灯の明かりも消している。
真っ暗な闇の中では、数メートル先を見るのも難しい。
「…そういえば、もし亡霊が本当に出てきたらどうするんですの?」
「あぅ、どうするって…それはもちろん…」
「羽入が行くのよ」
「い、行きませんですよ!?」
「しーっですわ!あんまり大きな声を出すと亡霊が出て来ないでしょう!?」
「2人とも、静かにしましょうなのです」
しばらく沼の方向を見張っていた3人だが、一向になんの変化も起きない。
四方八方から、虫の音が聞こえるばかりである。
時間が経つ度に、虫の音が大きくなり、闇が深くなっていく気がする……
この謎はデマだったのか……と、3人が諦めかけていたその時、
「な、何ですの!?あの光は……っ」
ふんわりとした柔らかい小さな光が、鬼々淵沼から湧き出てきたのだ。
それも、1つや2つではない。無数の小さな光が辺りを照らし、鬼々淵沼を優しく彩る。
「で、出たのですぅ〜!!」
「これが、昔生贄として沈められた人の亡霊ですの!?」
「あぅあぅ〜!」
「ちょっ…梨花!何処に行くんですの!?そっちは―――」
沙都子と羽入が恐怖で腰が抜けて動けない中、
梨花は、沙都子の問いかけを無視し、そのまま勇敢にも鬼々淵沼に向かっていく。
「2人とも心配ないのですよ。これは蛍なのです。」
梨花の思わぬ発言に、沙都子と羽入はポカーンとしている。
「蛍…なんですの?」
「あぅあぅ……」
「こっちに来るといいのです、とても綺麗ですよ」
「…………。」
沙都子と羽入は一瞬顔を見合わせて、すぐに梨花のところまで走って行く。
すると、確かにこの光は蛍だった。
正体が分かればなんて事はない。3人は、その神秘的な美しさに見惚れていた。
「この光が、亡霊の正体だったのですわね……」
「蛍は、昔から命の象徴とも言われているのですよ…」
「そう……じゃぁ、この沼に沈められた人の魂って話は、あながち嘘ではないのかもしれないわね…」
大昔、村八分やよそ者を鬼々淵の底なし沼に沈め、オヤシロ様に生贄を捧げる。
………これは、確かに実話である。
もしかしたら、この蛍たちは、
大昔、鬼隠しとして沈められた人々の、生まれ変わった姿なのかもしれない……
オヤシロ様という神を讃える恐信者。
長い歴史の中で、きっとこの沼でも、たくさんの悲劇と惨劇が繰り返されたのだろう。
「安らかに眠りなさい…もう、長い惨劇の連鎖は終わったのだから」
梨花の悲痛な呟きに、羽入は何も言えず俯くしかなかった。
一方沙都子は、蛍を一匹掌に乗せながら、遠い昔を思い出していた。
幸せだったあの頃を、兄の悟史と一緒に蛍を見た、忘れる事はない美しい思い出を。
私が蛍を捕まえて、家で飼おうとした時、
にーにーは私の頭を優しく撫でて止めたんですの。だって蛍は……
「昔、にーにーが言ってましたわ。蛍は成虫になるまで、11ヶ月以上もかかるんでしてよ。
それなのに、地上に出てきた蛍はたったの1週間しか生きられないんですの…」
蛍は、卵から約1ヶ月で孵化する。幼虫はそれから9ヶ月以上を水の中で過ごし、6回も脱皮を繰り返す。
その後、水から上がり、1ヵ月土の中で過ごし、サナギに……。
更に、10日間かけて、やっと羽化する。そんな長い時間をかけてやっと成虫になるのに、地上に出てきた蛍はたったの1週間しか生きられない……
だからにーにーは止めたんですわ。
蛍の命は短くて、儚い。でも、それが美しくて、だからこそ、かけがえのない光になるのだと。
「一夏の短い命を、一生懸命、命の明かりを灯して……
死ぬまでの残された時間を懸命に生きる……それは、とてもすばらしい事だと思いますわ」
そして、その短い命を奪う権利は、誰にもないって事を、教えてくれた………
その言葉は、梨花の心を打った。
殺されるまでの短い命を、懸命に生きようと戦った日々……
そして、その中で生まれた悲劇と惨劇は、今も鮮明に目に妬きついている。
「ありがとう、沙都子………」
貴方がそう言ってくれたから。それは“すばらしい事”だと、言ってくれたから私は……
梨花は沙都子に聞こえないように呟いた。
そして、3人はいつまでも……時間が過ぎるのも忘れ、闇夜に光る蛍を見つめていた。
「っという訳で、ボクら3人で『鬼々淵沼の亡霊』の謎を解決してきたのですよー!」
「偉いじゃねぇか!」
羽入が誇らしげに、スクラップ帳の『鬼々淵沼の亡霊』が書かれているページを圭一達に見せている。
「まー、私達の勇気ある行動の結果ですもの。当然ですわ!」
「みー、沙都子は最初怖くて震えていたのです」
「り、梨花――っ!!!」
「嘘は言っていないですよ?」
その時、スクラップ帳のページを見ていた圭一がポツリと呟いた。
「蛍か……」
「蛍がどうしたんですの?圭一さん」
「いや、蛍の幼虫って確か猛烈な肉食らしい…。食われなくて良かったな、沙都子!」
圭一が少し意地悪く言いながら、沙都子の頭を撫でる。
「なっ…!そ、そうでしたの…それは知らなかったですわ。圭一さんの無駄な知識には、心底乾杯いたしますわ」
「……乾杯?」
「感服の間違いじゃないですか?」
「!!!!」
梨花に言葉の間違いを指摘され、沙都子は顔が真っ赤になる。
そんな沙都子の様子を見て、梨花はにぱー☆と笑った。
「あぅあぅ!来月は皆で蛍を見に行きたいのですっ!」
「残念だけど……蛍は、初夏から夏までしか生息していないんだよ?」
「レナの言うとおりなのです」
「そ、そうなのですかぁ!?残念なのですぅ…」
「ま、まぁ!いつか皆で行けばいいよ!おじさんも蛍見たいしー」
「レナも蛍見たいなっ…ね、沙都子ちゃん?」
「しょ、しょうがないですわねー、みなさんが迷子にならないように、道案内して差し上げますわ」
そう少し苦笑気味で沙都子は言うと、
くすっと少しだけ笑って窓から無限に広がる大空を見上げた。
「ねぇ、にーにー……」
帰って来たら、また一緒に蛍を見たいですわ……
沙都子の声は、あまりにも小さかったため、他の皆には聞こえなかったが、
羽入にだけはその小さな声が届いていた。
「大丈夫なのです。想いは必ず届きます……ボクには見えるのですよ」
部活メンバー全員で、1人も欠けないで、蛍を楽しく見ている姿が。
羽入は、これからも続いていく未来と、 必ず訪れる来年の夏休みを思い浮かべて、優しく微笑んだのであった。